やなぎさわ・けん
【作詞】
福島県出身
明治22年(1889年)11月3日生
昭和28年(1953年)5月29日没
会津若松市に生を受けた詩人、外交官。柳沢家は旧・会津藩士の家系。祖父も父も教育者だったこともあり、健は一高から東京帝国大学仏法科と進む高い教育を受けた。
33歳の時(大正11年)、外務省事務次官に任命され、13年からは外交官としてフランス、スウェーデン、メキシコなどに赴任した。
文学者としては会津中学に在籍していた頃から、短歌や評論などを発表し、大学在学時にまとめた詩集『果樹園』が処女出版となる。島崎藤村、三木露風に師事し、作品集としては訳詩集『現代仏蘭西詩集』『柳沢健詩集』、随筆集『三鞭酒の泡』や、評論集『現代の詩及び詩人』、ヨーロッパ紀行をまとめたベスト・セラー『南欧遊記』などがある。
故郷の会津ではたくさんの校歌の作詞をしたことでも知られ、詞を提供した学校は、計26校に上るという。
「お寝み」
「秋」
「秋の歌」
「白き手に」
「月の旅」
「月のメランコリア」
「光まばゆき春なれど」
「喪失」
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