| 2007/10/14(日) 01:11 ヒラノエクスプレス |
横浜港にある遊覧船や、港近くにあるホテルの名前にもなったり、赤い靴と横浜とは切っても切れない関係となり、地名の入ったいわゆる御当地ソングでこれほどインパクトの強い曲はないと思います。
しかし、モデルの少女は単に東京在住の外国人夫婦に預けられただけで結局船に乗っていたわけではなく、歌のような光景はすべてウソだったのか、横浜とは何の関係もなかったとわかる現実には幻滅してしまうような感じが。最初は、船には乗ったけど途中で病気でなくなったという話もありましたが。
それでも名曲には変わりありませんね。
なお、この曲の歌い方についてご注意のほどを。
3番の「今では」を、出だしのラシドレミに対して「いーまでは」という歌い方がずっと出まわっていたのですが、正しくは「いまでーは」ということです。
4番でも「いじんさんにあうたび」の「び」はフェルマータを無視してしまう歌い方もときおり見られますが、これもこの時だけは延ばすのが正解で他とは異なりますので。
きみちゃんのお墓には佐野きみとなっています。10代で静岡から北海道に渡って来れたのもきみちゃんの父佐野安吉が連れてきたから乳飲み子を抱えて渡ってこれました。志を同じくした鈴木志郎との結婚を勧め佐野家に籍を入れヒュエット牧師に養女として渡しました。パパ、ママと多感な年頃を共にしたきみちゃんは6歳まで一番幸せな生活を過ごしたと思います。9歳で亡くなる時はきみちゃんの親はパパとママしか思い出せなかったでしょう
そこの所をしっかりと覚えないと2歳の時の事では
本当のきみちゃんの慕っていた親が見えてきません
きみちゃんの像は横浜以外にも静岡市日本平(親子像)北海道後志管内留寿都村、東京麻布十番商店街に在ります06・09・20〜22日の北海道新聞に岩崎きみちゃんの生涯が「赤い靴の物語」として掲載されています。北海道北翔大学教授水野信太郎氏の講義の中で知りました
童謡『赤い靴』は「きみ」という少女のことを、雨情が詩に書いたものだという説は、昭和53年北海道テレビが制作したドキュメンタリー番組を発端として、世にはびこった。
しかし、この説は一プロデューサーの捏造によるものであり、一片の事実も含まれてはいない。
全て、このプロデューサーがでっち上げた、虚偽である。
『赤い靴』は大正時代の日本人の、ある種の心情を映した、いわば精神的文化財である。
このプロデューサーの捏造は、たとえば上野の西郷さんの銅像にペンキで赤や緑の色を塗りたくり、別物に見せるようなことである。
横浜山下公園の像は、純粋に童謡のイメージを伝えたものだが、日本平、東京麻布十番、北海道留寿都村、小樽運河にある像は、捏造をそのまま写した、いわば虚偽の像である。
| 2009/07/14(火) 19:25 鈴木百合子 |
ドキュメンタリー番組が放映された事により「赤い靴」が不滅の童謡となり、この物語を通して親と子の絆の大切を実感する事が出来ました。全国に赤い靴の輪がさらに拡がり後世に引き継がれる事を願います。
| 2009/07/21(火) 20:03 小樽のなおみ |
童謡『赤い靴』は野口雨情が友人の話を元に作られたもの、これは紛れもない事実。きみちゃんが重い病気で検疫をくぐれず、異人さんにはつれていかれず独り日本に取り残され孤児院で短い生涯を終る。
しかし、これは親である鈴木四郎も知らなかった訳で(とされているが真実はいかに?)雨情先生は
鈴木から「外国に行った」と聞かされ、それを詩にした。ココからが本題。
この詩は、きみちゃんの生涯を歌った詩でもなければ、鈴木夫妻がきみちゃんの事をどう思っていたかの詩でもない。友人の鈴木から聞いた話に感情イニュウした雨情先生がその話に心を打たれ、自分の気持ちや想いを詩にしたものだと私は思ってます。
プロデューサーがあの番組を作った事は、学説を学会に発表するようなもの。肯定するものもいれば否定するものもいる。当然のこと。意見は色々あるだろうし、真実はどうにしろ、世間にはおおむね受け入れられたよう。これも事実。この事実を覆すにはあの番組を上回る番組を作るしかないでしょう。
だから、全国の赤い靴にゆかりのある各地で碑が立った。小樽の像に関してだけ言わせてもらえば、あれは小樽の地からメジャーデビューした雨情先生の功績をたたえた物であり、詩の内容と事実がたとえ違ったとしても揺るぐものではないと思います。
昨夜NHK深夜便で本居長与作曲「白月」が歌われていました。私としては今まで「ハクゲツ」とばかり思っていましたのでアナウンサーの方が「シロツキ」と紹介された時にはビックリしました。どちらが本当かご存じの方がおられましたら是非教えて下さい。よろしくお願いいたします。miyata・拝
小樽のなおみさんの「これは紛れもない事実」というのが、何を以て仰っているのか理解に苦しみます。
当事者でもない人が、そういう言い方をするのは非常に危険ですし、また受け手がそのような根拠のない断言を信じてしまうのも危険ですね。
この詩の背景については、野口雨情の親族内でも見解が別れているようですよ。
| 2010/11/18(木) 00:41 ヒラノエクスプレス |
宮田京子さんの質問に回答いたします。実はこの曲は、本居先生が三木露風の意志と無関係に勝手に作曲して本人に確認せずに勝手に「しろつき」をやりますと言って娘のみどりさんに歌わせてしまったのであります。そのため露風側は怒って本当はどう読んでいたのかというコメントを一切しないことにしていたという、別名「曰く月」(いわくつき)などとも呼ばれております。この長世・露風の二人の関係は最後まで手が合いませんでした。まあ、結局は「しろつき」の読み方でその後まかり通っています。本居長世は「十五夜お月さん」で野口雨情、「お山の大将」で西條八十の好評を得たから、月の歌がツキ=luckey=に通じるとみて「白月」をターゲットにしたようですが、長世のライバルである山田耕筰の作曲しか受け付けないという露風の心までは奪い取ることはできませんでした。