この唄にでてくる金魚は=子ども、なのではないでしょうか。
妻に逃げられた夫が、帰りを待ちながら子どもを一人ずつ殺してゆく…。そんな感じがします。
すべて勝手な判断ですが、とても猟奇的な唄だと想いました。
| 2006/10/06(金) 03:59 真実を見抜け by kaoru wada |
>出目金魚さんの意見は正直考えが甘すぎる!!
この作品はまさに母の愛を受けることなく育ってしまった子供の歌である。愛情の不足した人間は猟奇的に人を殺すものなのである。つまり精神病であり、またうつ病の人間の詩でもあるだろう。自殺することと他人を殺すことの同一性も忘れてはならない。つまりこの詩は他殺的でありながら自殺的なのである。北原白秋氏自身がこの作品を書けるような人生を歩んできたにも関わらず死ななかったことが
とにかくすごい!
| 2006/10/25(水) 10:14 wadaさんすごい! |
この詩は少し前によく聞かれていた「キレる子供」の姿を、鋭く言い当てていた、北原白秋の名詩だとも思います。子供は純粋です。純粋な気持ちで人を切りつけるし、屋上から飛び降ります。人間の本質の中に、「さびしい」ー「くやしい」ー暴力(自・他への)...というしくみがあるのかもしれないと思います。
是はあくまでも個人的な解釈に過ぎませんが、この詞は私にはどうも、“口減らしの為に山に置き去りにされた子供の事”を歌って居る様な気がしてなりません。
家に母親が帰って来なくて「さびしい」のは分るのですが、そのあと「くやしいな」「ひもじいな」と云うのが引っ掛かります。
山に捨てられ、母親が帰って来ると信じて待って居るけれど、どこかで捨てられた事を薄々感ず居ていて、金魚を殺すのは腹いせ、八つ当たりの他に、自身の行く末を占っている…。いつかは自分もこうなる事が分っている。一種の擬似体験の様な事を、無意識にして居るのではないかと。
…日が暮れ、金魚が死に、そしてピカピカ光る金魚の眼が恐いのは、自ら殺した金魚が、今度は死神として自分を迎えに来る…。それが恐い。
…こういう解釈をすると、この唄の見方が、又違って来ると思いますが、何しろ確証が有りませんし、あくまでも個人的な意見ですので、あまり参考にはしないで下さい。失礼しました。
山に置き去りにされた子供のところに金魚がいる理由がわからないのですが?
まあ確かにこの歌の母親が帰らないのはただ単に帰りが遅くなったわけではなく、
なんらかの変事なのでしょうけど。
それで不安になりヤケクソになった子供が金魚に当たりまくってる歌なんでしょうね。
この唄は、2、3歳の年のころの子供の心/感情を描写したすぐれた作品だと思います。
いつも、そばにいる母親が、何かの用事で「すぐに帰るからいい子で待っててね!」と言い残して、でかけた。
そして、やむなく言いつけ通りおとなしく待っていたが、あまりに帰らない母親に子供は、業を煮やし、たまたま目の前に泳いでいた金魚に心ならずも当たってしまったと言う、そんな状況を子供の気持ちになって白秋が唄ったものではないでしょうか?
そして、唄の最後にあるように母親が帰ってきた時に、死んだ金魚の目が光ってると、少し怖くなって母親の後ろに隠れながら金魚を見ている。不安な気持ちで、つい金魚に当たってしまったことの後ろめたさを感じている状況ではないでしょうか?
私は子どもの心に泳いでいる、鮮やかでみずみずしい無垢な感性(=金魚、心の中のもうひとりの自分、妄想内の友達)が、親から愛されていないのではないかという、不信感や寂しさから、荒み、ポジティブに機能しなくなっていくというイメージを受け取りました。
子どもの鋭敏な感性が、ネガティブな方向へのみ感度を発揮する。道具であるともいえる感性が、本体である精神を冒していく。だから金魚を主人公は恐れているのではないでしょうか。