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クラシック 楽譜 - クラシック - サティ
   楽譜
 ワルツ第1番 ロ長調 ブラームス Op.39-1  1867年
 ワルツ第2番 ホ長調 ブラームス Op.39-2  1867年
 ワルツ第3番 嬰ト短調 ブラームス Op.39-3  1867年
 ワルツ第4番 ホ短調 ブラームス Op.39-4  1867年
 ワルツ第5番 ホ長調 ブラームス Op.39-5  1867年
 ワルツ第6番 嬰ハ長調 ブラームス Op.39-6  1867年
 ワルツ第7番 嬰ハ短調 ブラームス Op.39-7  1867年
 ワルツ第8番 変ロ長調 ブラームス Op.39-8  1867年
 ワルツ第9番 ニ短調 ブラームス Op.39-9  1867年
 ワルツ第10番 ト長調 ブラームス Op.39-10  1867年
 ワルツ第11番 ロ短調 ブラームス Op.39-11  1867年
 ワルツ第12番 ホ長調 ブラームス Op.39-12  1867年
 ワルツ第13番 ロ長調 ブラームス Op.39-13  1867年
 ワルツ第14番 嬰ト短調 ブラームス Op.39-14  1867年
 ワルツ第15番 変イ長調 ブラームス Op.39-15  1867年
 ワルツ第16番 嬰ハ短調 ブラームス Op.39-16  1867年
1867年  (露)マルクスの『資本論』発刊 
1867年  大政奉還、江戸幕府滅ぶ 
 「Dreaming of Home and Mother」 ジョン・ポンド・オードウェイ  1868年
 「WHISPERING HOPE」 セプティマス・ウィナー  1868年作曲
1868年  官軍軍楽隊による「宮さん宮さん」が全国に広まる 
 「子守歌」 ブラームス Op.49-4  1868年作曲
 「信仰」 メンデルスゾーン Op.102-6  1868年出版
1868年  (日)江戸から明治へ 
 「THE LITTLE BROWN JUG」 イーストバーン  1869年
1869年  薩摩藩の軍楽生がフェントンに吹奏楽を学ぶ 
 「Pass me not」 ウィリアム・ハワード・ドーン  1870年出版
1870年  宮内庁に雅楽部が設置される 
1870年  薩摩軍楽隊、フェントン作曲の「君が代」を御前演奏 
 「G線上のアリア」 J.S.バッハ/ウィルヘルミ編曲  1871年編曲
 「ぶらんこ」 ビゼー Op.22-1  1871年
 「こま」 ビゼー Op.22-2  1871年
 「お人形」 ビゼー Op.22-3  1871年
 「木馬」 ビゼー Op.22-4  1871年
 「羽根つき」 ビゼー Op.22-5  1871年
 「ラッパと太鼓」 ビゼー Op.22-6  1871年
 「シャボン玉」 ビゼー Op.22-7  1871年
 「目隠し鬼ごっこ」 ビゼー Op.22-9  1871年
1871年  ドイツ帝国成立 
 「Out of the flames!」 ビッセル  1872年
1872年  (日)太陽暦へ切り替え 
1873年出版  『ピアノ・ヴィルトゥオーゾ』 ハノン 
 「プロムナード」 ムソルグスキー 
 「プロムナード」 ムソルグスキー 
 「古城」 ムソルグスキー 
 「プロムナード」 ムソルグスキー 
 「テュイルリー、遊んだ後の子供のけんか」 ムソルグスキー 
 ワルツ集「愛の歌」 ブラームス Op.52a-1  1874年出版
 ワルツ集「愛の歌」 ブラームス Op.52a-2  1874年出版
 ワルツ集「愛の歌」 ブラームス Op.52a-3  1874年出版
 ワルツ集「愛の歌」 ブラームス Op.52a-4  1874年出版
 ワルツ集「愛の歌」 ブラームス Op.52a-5  1874年出版
 ワルツ集「愛の歌」 ブラームス Op.52a-8  1874年出版
1875年  (仏)ビゼー「カルメン」が初演 
 「ハバネラ」 ビゼー  1875年初演
 「GRANDFATHER'S CLOCK」 ヘンリー・クレイ・ワーク  1876年
1876年  (米)ベル、電話発明 
1876年  日朝修好条約(江華島条約)調印 
1877年  東京大学設置 
 「Sequel to Grandfather's clock」 ヘンリー・クレイ・ワーク  1878年
1878年  『こどものためのアルバム』 チャイコフスキー Op.39 
 「朝の祈り」 チャイコフスキー Op.39-1  1878年
 「冬の朝」 チャイコフスキー Op.39-2  1878年
 「小さな騎士」 チャイコフスキー Op.39-3  1878年
 「ママ」 チャイコフスキー Op.39-4  1878年
 「兵隊の行進曲」 チャイコフスキー Op.39-5  1878年
 「病気のお人形」 チャイコフスキー Op.39-6  1878年
 「人形のお葬式」 チャイコフスキー Op.39-7  1878年
 「ワルツ」 チャイコフスキー Op.39-8  1878年
 「新しいお人形」 チャイコフスキー Op.39-9  1878年
 「マズルカ」 チャイコフスキー Op.39-10  1878年
 「ロシアの歌」 チャイコフスキー Op.39-11  1878年
 「農夫の歌」 チャイコフスキー Op.39-12  1878年
 「ロシアの踊り」 チャイコフスキー Op.39-13  1878年
 「ポルカ」 チャイコフスキー Op.39-14  1878年
 「イタリアの歌」 チャイコフスキー Op.39-15  1878年
 「フランスの古い歌」 チャイコフスキー Op.39-16  1878年
 「ドイツの歌」 チャイコフスキー Op.39-17  1878年
 「ナポリの踊り歌」 チャイコフスキー Op.39-18  1878年
 「おとぎ話」 チャイコフスキー Op.39-19  1878年
 「魔女」 チャイコフスキー Op.39-20  1878年
 「甘い夢」 チャイコフスキー Op.39-21  1878年
 「ひばりの歌」 チャイコフスキー Op.39-22  1878年
 「辻音楽師」 チャイコフスキー Op.39-23  1878年
 「教会にて」 チャイコフスキー Op.39-24  1878年
1879年  文部省、音楽取調掛を設置 
 「カプリッチョ 嬰ヘ短調」 ブラームス Op.76-1  1879年出版
 「カプリッチョ ロ短調」 ブラームス Op.76-2  1879年出版
 「間奏曲 変イ長調」 ブラームス Op.76-3  1879年出版
 「間奏曲 変ロ長調」 ブラームス Op.76-4  1879年
 「カプリッチョ 嬰ハ短調」 ブラームス Op.76-5  1879年出版
 「間奏曲 イ長調」 ブラームス Op.76-6  1879年出版
 「間奏曲 イ短調」 ブラームス Op.76-7  1879年出版
 「カプリッチョ ハ長調」 ブラームス Op.76-8  1879年出版
1879年  琉球藩を廃し沖縄県とする 
 「金婚式」 マリー 
1880年  エッケルト編曲「君が代」が雅楽稽古所で初めて演奏される 
1882年  (独)ガソリンエンジンの自動車発明 
 「Don't be cruel to the motherless darlings!」 ヘンリー・クレイ・ワーク  1882年
1883〜1884  (瑞)(英)蒸気タービンの発明 
1883〜1885  (独)ニーチェ『ツァラトゥストラ』発表 
 「THE SILVER HORN.」 ヘンリー・クレイ・ワーク  1883年
1883年  鹿鳴館が落成(鹿鳴館時代) 
1883年  鹿鳴館完成 
 「Oh My Darling, Clementine」 パーシー・モントローズ  1884年
 「アメリカン・パトロール」 ミーチャム  1885年作曲
 「忘れな草」 リヒナー Op.160-6 
 「蝶々」 グリーグ Op.43-1  1886年作曲
 「愛の歌」 グリーグ Op.43-5  1886年作曲
 「サラバンド第1番」 サティ  1887年
1887年  川上音二郎の「オッペケペー節」が流行(壮士演歌の時代) 
1887年  東京音楽学校、東京美術学校が開校 
 『3つのジムノペディ』 サティ  1888年
 「アニトラの踊り」 グリーグ Op.46-3  1888年作曲
1889年  パリ万博で「美しく青きドナウ」 
 「月の光」 ドビュッシー  1889〜90
 「夢」 ドビュッシー  1890年
 「グノシエンヌ第1番」 サティ  1890年
 「グノシエンヌ第2番」 サティ  1890年
 「グノシエンヌ第3番」 サティ  1890年
 「前奏曲」 アルベニス Op.165-1  1890年出版
 「タンゴ」 アルベニス Op.165-2  1890年出版
1890年  第1回国際メーデー開催 
 「ソルヴェイグの歌」 グリーグ Op.55-4  1891年作曲
 「アラベスク第1番」 ドビュッシー  1888〜91
 「アラベスク第2番」 ドビュッシー  1888〜91
 「カプリッチョ ニ短調」 ブラームス Op.116-1  1892年出版
 「間奏曲 イ短調」 ブラームス Op.116-2  1892年出版
 「カプリッチョ ト短調」 ブラームス Op.116-3  1892年出版
 「間奏曲 ホ長調」 ブラームス Op.116-4  1892年出版
 「間奏曲 ホ短調」 ブラームス Op.116-5  1892年出版
 「間奏曲 ホ長調」 ブラームス Op.116-6  1892年出版
 「カプリッチョ ニ短調」 ブラームス Op.116-7  1892年出版
1893年  (独)ディーゼルエンジン発明 
 「グロテスクなセレナード」 ラヴェル  1893年作曲
1893年  ドボルザーク「新世界から」 
1893年  文部省が祝祭日用唱歌として「君が代」ほか8曲を公示 
 「ユモレスク 第7番」 ドボルザーク Op.101-7  1894年
1894年  ロシア・フランス同盟締結 
1894年  日清戦争勃発 〜1895年 
1895年  (伊)マルコーニの無線電信機の発明 
1895年  (独)レントゲンによるX線発見 
 「野ばらに寄す」 マクダウェル Op.51-1  1896年作曲
 『森のスケッチ』 マクダウェル Op.51 
1896年  (雅)アテネで第一回オリンピック開催 
 「ト調のワルツ」 ベール Op.490-1 
1898年  (米)ハワイ併合の決議可決 
 「亡き王女のためのパヴァーヌ」 ラヴェル  1899年作曲
1899年  シベリウスの交響詩「フィンランディア」 
 「メープル・リーフ・ラグ」 ジョプリン  1899年
1899年  (蘭)第一回ハーグ国際平和会議 
19世紀末  アメリカでジャズが誕生 
 「ジュ・トゥ・ヴー(あなたが欲しい)」 サティ  1900年頃
1900年  (独)フロイト『夢判断』を出版 
 「イージー・ウィナーズ」 ジョプリン  1901年
 「ピーチェリン・ラグ」 ジョプリン  1901年
1901年  (瑞)ノーベル財団創設 
 「エンターティナー」 ジョプリン  1902年
 「アラバマからのそよ風」 ジョプリン  1902年
 「エリート・シンコペーション」 ジョプリン  1902年
 「ストレニアス・ライフ」 ジョプリン  1902年
1902年  日英同盟締結 
1903年  国産の蓄音機が発売される  
 「パーム・リーフ・ラグ」 ジョプリン  1903年
 「ウィーピング・ウィロウ」 ジョプリン  1903年
1903年  (米)ライト兄弟、人類初の動力飛行 
 「ピカデリー」 サティ  1904年
 「カスケーズ」 ジョプリン  1904年
 「クリサンシマム」 ジョプリン  1904年
1904年  日露戦争勃発 
 「ユージニア」 ジョプリン  1905年
1905年  ロシア第1革命 
1905年  韓国保護条約 
1906年  南満州鉄道株式会社設立 
 「グラジオラス・ラグ」 ジョプリン  1907年
 「ノンパレル」 ジョプリン  1907年
1907年  英露協商締結 
 「グラドス・パルナスム博士」 ドビュッシー  1906〜08
 「パイナップル・ラグ」 ジョプリン  1908年
 「フィグ・リーフ・ラグ」 ジョプリン  1908年
 「象の子守歌」 ドビュッシー  1906〜08
 「ソラース」 ジョプリン  1909年
 「ユーフォニック・サウンド」 ジョプリン  1909年
 「パラゴン・ラグ」 ジョプリン  1909年
1910年  添田唖蝉坊「むらさき節」 
 「デルフィの舞姫たち」 ドビュッシー  1909〜10年
 「帆」 ドビュッシー  1909〜10年
 「亜麻色の髪の乙女」 ドビュッシー  1909〜10年
 「ストップタイム・ラグ」 ジョプリン  1910年
1910年  最初の「文部省唱歌」誕生 
1910年  日韓併合 
 「スコット・ジョプリン・ニュー・ラグ」 ジョプリン  1912年
1912年  タイタニック号が沈没 
1912年  明治天皇崩御、大正天皇が即位 
 「マグネティック・ラグ」 ジョプリン  1914年
1914年流行  「まっくろけ節」流行 
1914年  第1次世界大戦勃発 〜18年 
1916年  (墺)フロイト『精神分析入門』刊行 
1916年  (独)アインシュタイン『一般相対性理論』形式化 
1916年  (露)レーニン『帝国主義論』執筆開始 
1916年  (露)ラスプーチン暗殺 
 「官僚的なソナチネ」 サティ  1917年
 「リフレクション・ラグ」 ジョプリン  1917年
1917年  ロシア第2革命、ソヴィエト成立 
1918年  宝塚音楽歌劇学校が創立される 
1918年  (日)米騒動 
1918年  (日)シベリア出兵 
 「スワニー」 ガーシュイン  1919年
1919年  ドイツ労働者党結成 
1919年  第1次世界大戦終了 
1919年  (米)禁酒法成立 
1920年  国際連盟創設、第1回総会開催 
1921年  (蘇)スターリンが書記長に就任 
1922年流行  「籠の鳥」 作詞 千野かおる/作曲 鳥取春陽 
1922年  (伊)ムッソリーニ政権が発足 
1922年  (露)ソヴィエト社会主義共和国連邦が発足 
1923年  関東大震災 
1923年流行  「帝都復興の歌」 作詞 小林愛雄/作曲 小松耕輔 
 「ラプソディ・イン・ブルー」 ガーシュイン  1924年
1925年  日本でラジオ放送が始まる 
76件 220件 144件
サティ
 
 
Erik Satie
[ark sät]
(1866年5月17日〜1925年7月1日)
 音楽家年表
 フランスのピアニスト、作曲家。Erik Alfred Leslie Satie
 ヨーロッパにおける20世紀初めの音楽改革を推進した重要人物の一人。
 ノルマンディ地方の港町、オンフルールに生まれたサティは、同地の学校を経て13歳の時にパリ音楽院に入学する(1879年)。しかし、音楽的な才能は認められてはいても、決められたコースに則(のっと)り学ぶことは得意ではなかったようで、在学7年間の評価はかんばしいものではなかった。
 まだ学生だった18歳(1884年)、処女作と思われる「アレグロ」を作曲する。しかし作家としての本格的なスタートは、音楽院を飛び出し、軍隊から戻ってきた後の、1886年の頃からである。この年、彼の「神秘主義の時代」の幕開けを飾る「オジーヴ」が作られ、翌87年「サラバンド」、そして88年に、サティの作品として第1に知られる「ジムノペディ」と続く。
 当時の彼は、パリのボヘミアンが出入りする酒場「黒猫」でピアニストとしての職を得て、シャンソンなどの伴奏をしていた。流行していた中世への懐古趣味や神秘主義にも感化され、彼は「神秘的なサティ」というニックネイムまでもらうようになった。
 この傾向は、小説家でもあったジョセファン・ペラダンが教祖となったバラ十字団に加わったことでさらに強まり、1892年に同教団の公認作家として彼は「バラ十字団の鐘」を書き下ろした。
 同年、バラ十字団に絶縁状を付きつけて決別。次に作風として、のちに「ユーモラスな時代」と呼ばれる時代区分へと彼は入っていく。
 サティはパリの下町の酒場に出入りすることで、ペラダン教祖や長年の友人となるドビュッシーとも知り合い、生涯ただ一人の恋人とされる画家のシュザンヌ・ヴァラドン(ユトリロの母)とも出会った。また、ミュージック・ホールのために書き下ろした歌も60曲ほどあるとされ、その中にはアメリカからのラグ・タイムの流行を取り入れた「ピカデリー」のような曲もたくさんあった。
 サティの独特の作風は、このような20世紀初めという異なった価値観が入り乱れる都会の中で鍛えられていった。
 1913年には、「自動記述」を作曲する。「自動記述」は、シュールレアリズム(超芸術主義)の到来を予言したと言われる作品である。
 サティがピアノ作品から舞台用の音楽を積極的に手掛けるようになるのも10年代からのことで、特に有名なのは、詩人のジャン・コクトーが台本を、緞帳と衣装をパブロ・ピカソが担当した「パラード」(1917年初演)で、サティはこの舞台のスキャンダラスな成功によって、時代を描き出す有能な作曲家としての名を決定づけた。
 サティがのちの「環境音楽」においても先駆者であったことを示すのが、10年代の終わりから晩年(20年代)にかけての、いわゆる「家具の時代」である。この時代の彼は、「官僚的なソナチネ」「ノクチュルヌ」「最初のメヌエット」を作り(20年作曲の「最初のメヌエット」は、サティにとって最後のピアノ曲)、バレー音楽、声楽曲など多方面で活動している。
 特にルネ・クネール監督の映画「幕間」では、音楽を担当するだけではなく、マルセル・デュシャンやマン・レイたちと出演までした。
「幕間」は、バレエ「本日休演」の舞台のために作られた作品だったが、サティはその初演の直後に肝硬変で倒れる。
 1925年7月1日、死去。
 回顧録では自らを「音響計測者」と呼び、黒服に山高帽子という独特の装いで身を包んだサティ。「ひからびた胎児」など独特の曲名でも知られた人物だった。
フランス
ジュ・トゥ・ヴー(あなたが欲しい) ---- サティ
サティ
ピアノで奏でるウェディングミュージック
Satie - Trois Gymnopédies
Satie - 2ère Gymnopédie
Satie - 1ère Gymnopédie
Satie - 3ère Gymnopédie
『3つのグノシエンヌ』 ---- サティ
『3つのジムノペディ』 ---- サティ
グノシエンヌ第2番 ---- サティ
ピカデリー ---- サティ
グノシエンヌ第1番 ---- サティ
ジムノペディ第3番 ---- サティ
ジムノペディ第2番 ---- サティ
ジムノペディ第1番 ---- サティ
グノシエンヌ第3番 ---- サティ
官僚的なソナチネ ---- サティ
サラバンド第1番 ---- サティ
フランス
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